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大阪ん♪ラプソディー

ニュース
 ニュースを見るのは社会で起きている事を知って、疑問に思ったことを調べたり、共有した情報を話合ったりするため。だと思っている。
 昔、小学校の先生が言っていた「民主主義の良いところは少数派の意見をきくところだ」と。50年位前の話だが、私たち子どもは納得していたものだった。また中学、高校になるにつれ「新聞は1紙だけ読むな、考え方が偏るから、最低2紙は読むようにしろ」と大人に言われた。それにも納得して読むようにしていた。
 しかし今、あれは情報が少なかった時代の話なのだと思うようになった。先日も夜のニュースを見ながら飲んでいたのだが「大雨関連の情報」「コロナ陽性者の最多数の発表」「敗戦記念日の式典の報道」「オリンピックの金メダリストの居る町のポストが金色に塗装される話題」などのニュースが10分くらいの間に次々流れて来た。
私は途中で「ああ~!」と何回か叫びそうになった。情報量が濃い上に多すぎて、のんびりビールを飲んでいる自分がどうしたらいいのか分からなくなったからだ。
宮沢賢治の詩の一説に「よく見聞きし、そして忘れず」という一文があるが「そんなこと無理だよ。賢ちゃん」と知り合いでもないのに口に出してしまった。現代の情報量の多さで、何も考えられず、何も覚えていられないのが現実だ。若者がニュースを見ない、読まないのも無理はないと思う。ただ、そうなると困ったことになるのだが…。
先日、うちのバイト男子21歳が「コロナっていつ終わるんっすか?」と聞いてきた時に「終われへんよ。ニュースとか見てないの?」と聞くと「見てますよ、昨日2000人超えましたね、やばいっすよ」と答えた。
あかん…根本的なこと分かってへん。と内心思いながら、ウィルスについて説明する羽目になった。「へぇ、そうなんや。でもテレビでそんなこと誰も言うてへんかったけどなぁ」と彼は不思議そうに反応していた。
「そうなんだよ若者よ、ニュースというのは情報なだけなの。それを受け取って考えなきゃならないんだよ。新型コロナウィルスという言葉が分からなかったら『ウィルスって何や?』と思って調べないと、知識は広がらなんだわ、これが」と言ってやりたかったが時間がなかったので止めた。
若い子たちの大半が、おそらくニュースを聞いて「昨日、アフガニスタンえらいことになってたなぁ」「テレビで見たわ。大変やね」というような会話をしているのだろう。そしてそれが何のことなのか、なぜ起きているのか、日本人にどんなかかわりがあるのか? という疑問には発展せずに終わって行くのだ。
民衆に公平に事実を知らせるために始まった報道という世界が、今では飽和状態になって機能していないわけである。かといってこの情報量を捌ききれない自分も居るわけだ。
美容院に行ったら、見知らぬおばちゃんが美容師に「この雑誌読んだ? 大坂なおみちゃん、うつ病やねんてな。可哀そうに」とか言っている。何故そうなったのか、どんなことがあったのか、おばちゃんは考えたことはなさそうだ。彼女にとっては美容院に居る時間のお喋りのネタでしかない。
そう、自らの身に関係がない事はどんな悲惨なニュースもみんなネタでしかない。怖すぎる…