1. ホームへ戻る
  2. 大阪ラプソディー
  3. 若者よ!

大阪ん♪ラプソディー

若者よ!
 この春から大阪芸術大学の客員教授をしている。ラジオドラマの脚本から録音、完成までを生徒たちにやらせるというコースの先生だ。
 最初は大学の先生かぁ… とちょっと躊躇した。というのも一昨年まで京都の大学で芝居の演出をする仕事をしていたからだ。1年かけて授業発表公演の演出をするコースの先生だったのだが… 半分以上がコロナの期間中で思ったような仕事が出来ずに終わった。
 しかしラジオの脚本を一から書いて、それを自分たちで読み、音楽や効果音を入れ、編集作業をして完成させる。という今回の授業の内容には興味が湧いた。チームで何かを一から作り上げ完成させるという経験はメチャクチャ人生の役に立つ、そう思ったのだ。
 週一回だが、二か月ほど通っている。昼の1時20分から始まるのでちょうど昼どきに学校に着くわけだ。そこで最近の学生たちの昼食というのを目にするようになった。ひとりでお弁当を食べている子もいれば、お菓子で済ませている子もいる。学校の中にあるクレープ屋のキッチンカーでスイーツを買って食べている人や、学食でカレーやラーメンを食べている生徒も多い。毎週その姿をチラチラ見ているのだが、大食いの子が全然いない事に気が付いた。
 そこで自分が教えているクラスの子達に「今日のお昼何食べた?」と聞いてみることにした。先週はまず5人の男子生徒中4人が欠席だった。一人は親戚の不幸、3人は体調不良だった。
 「食う前から倒れてるやん」と内心思ったが… で、やってきた一人に聞くと「お昼ごはんですか? えっと何食べたかな…」「いや、お昼ごはんってさっきやで、何食べたか覚えてないの?」「ああ、なんかパンです。普通の」という会話で終った。  私はその時、日本の子供たちはなんと恵まれているのだろうかと思った。彼らは不味い物を食べたことがないのだ。スーパーやコンビニで売っている物はある一定の水準に達しているものばかりで、何を食べても当たり外れはない。しかもバラエティに富んでいる。つまり「なにこれ? こんなおいしい物食べたことがない」という発見や感動にマヒしているのだ。
 生まれて初めてピザを食べた日、ステーキハウスに入った日、生クリームを食べた食感などの衝撃が私の記憶の中にはある。でも美味しい物がなんでも在るのが当たり前の世界で育ったら、そりゃあ感動もしないかと改めて思った。
 そんな視線で彼らを見ていると万事が淡白であるように思える。書いてくる脚本も、友達との会話もそつなくこなすが、味がないというか個性はあまり感じない。みんな良い子で、みんなおとなしく、みんな優しい。最近の子供たちはこの傾向にある様に思う。何もかも揃っている世の中で育ち「好きなことをしていいよ」と言われて、叱られない。いっそメチャクチャ不味い物でも食べさせて「なんじゃこりゃ?」と言わせてみたいくらいだ。
 20世紀の大人たちの「より良く、便利な世界」のための開発や、努力の末に無感動な子供たちが出来上がるなんて… 辛い話だ。