1. ホームへ戻る
  2. 大阪ラプソディー
  3. 米騒動

大阪ん♪ラプソディー

米騒動
街中のスーパーからお米が無くなっている。コロナ禍の時のトイレットペーパーと同じだ。流言飛語とはいうものの、生活必需品や食料は流石に無くなるのを見ると、つい怖くなって自分も買ってしまうのが人の業というものだろうか。
 店に物がない恐怖を最初に経験したのは70年代のオイルショックの時だった。私はまだ中学生で、テレビのニュースで「主婦がトイレットペーパーを取り合いしている」様などを見ながら「わぁ… 紙なくなるんかな」と言うと、戦争を体験しているうちの両親がそろって「大丈夫や、トイレの紙無くなったら新聞紙使うたらええ」と平気な顔をして答えたのが忘れられない。
 その上、母が何でも買いだめする性格だったので、トイレットペーパーもふんだんにあり、我が家はあまり心配なく過ごすことが出来た。母の買いだめ主義は晩年一人暮らしになっても続き、それはそれで困ったことにはなったが、戦争中の物不足の体験をした世代はどうしても買い置きの癖が抜けないのも理解はできる。
 あの頃に一番「ほんまに紙がないんやな」と実感したのは毎週買っていた漫画の本が見る見る薄くなり、ついにはオイルショック前の半分ほどの薄さになっていったことだった。これは子供としては辛い体験であったが、今思えば若手の漫画家さんたちは仕事が無くなったりしていたのだろう。辛いどころか命がけだったに違いない。
 オイルショックは一時のもので、その後80年代に近づくとともに日本は物であふれかえった。やがて私も成人して働くようになり、物が無くなる恐怖などは忘れ去って行ったのだが、1995年の阪神淡路大震災が起きた時、やはり「水がない!」という恐怖を味わうことになった。あの時は東京の出版社の方々が心配して水を送ってくれ、それを頼りに近所に住んでいる演劇人が我が家に続々と集まって来たものだった。急いで中古のバイクを買ってみんなで被災地に運んだりもした。
 我が家も2日ほど茶色い水道水しか出なくて、お風呂や洗い物は仕方ないとしても、飲み水を確保するために煮物は全部安い日本酒を買って使っていた。あの時の体験以降、うちの家には「すぐ持って逃げられる用のリュック」が常備してある。今も半年に一回くらい中を点検して入れ替えている。備えあればなんとやらだ。
 そんなことで充電式扇風機、ガスボンベ式のストーブ、5年保証の水、お湯を入れたら食べられるご飯や缶詰などが家にある。簡易式トイレも常備してある。何かあったら近所に住んでいる劇団員や演劇関係者が駆け込んでくるという想定をいつもしている。
 そして今年、ついに大阪ガスのエネファームというのを付けることにした。太陽光を利用した発電システムだが、一番いいのは停電になっても電気、ガスが一定の期間使えることだ。何が起きるかわからない災害大国日本に住んでいる以上、備えておく方がいいという判断だった。しかし300万近くかかった! 電気代が画期的に安くはなるのだが、その分分割料金がかかる。
2人暮らしの我が家、たとえ災害時に人がやって来るとはいえ「待てよ、これ元とれる?」と、ちょっと思っている。な、長生きせんとあきませんわ~。