
- 大阪のハードル
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大阪人の始末をテーマにした芝居を上演中だ。札幌、東京、名古屋、大阪と回っていくので西に西に戻って来るスケジュールが組まれている。
というのも全編大阪弁の芝居なので、一番通じにくそうな札幌から公演した方が緊張感があっていいだろう考えたからだ。
私はまずしんどいことを先にする性格なのである。札幌で大阪弁の芝居がどれだけ反応があるのか、それを体験してから東京へ。東京での反応を見つつ名古屋に回ったら、いろんなものが洗練されて地元に戻って来た時に一番いいものが残っている…予定だった。
ところが札幌で上演したら「大阪弁がすごく素敵だった」「大阪弁のファンになった」と温かい反応ばかりだった。「細かい言葉は分からなくても、雰囲気が楽しくて楽しくて」と手放しで喜んでもらって拍子抜けした。
いや、待てよ。東京の人もよくそういう反応をする。大阪弁の芝居のテンポの良さを歓迎してくれるお客が多い。しまった、ということは大阪でやるときに一番ハードルが高いということか? と、今になって気が付いた。
大阪人は大阪弁の芝居なんて珍しいものではない。どちらかというと「面白いもん観せてもらおか」と玄人客みたいな人がびっしり客席に座っていると言ってもいい。うーん、ハードルを下げて行くつもりだったのが、高くして行ったようだ。劇団員に「ごめーん、間違えた」とも言えないので、このままツアーを完遂するしかないようだ。とほほのほである。
大阪弁と言っても、今回の芝居は大正時代の船場のお話。船場弁という商人特有の言葉を使っているので、それを武器に大阪人を煙に巻くしかなさそうだ。
船場弁は今ではほとんど使われていないが、合理的で少し皮肉が聞いていて面白い。商人の始末を第一とした生活の中で培われた独特の発想もまた魅力的だ。
例えば昔の船場では美人の使用人は嫌われたという。何故ならば男が仕事をしない上に、叱りにくいからとか。美人は3日で飽きるが、ブスは3日で慣れるということで、美人の使用人は化粧代もかかるだろうし、お金が貯まらないからとモテなかったらしい。
大阪では「戎っさん」と親しく呼ばれる商売の神様を祭った戎神社のお祭りで「ミス福娘」というその年の巫女さんを一般公募するのだが、その基準はあくまでも周りを明るく幸せな気持ちにする風貌であって、整った顔立ちの美人を選ぶわけではない。
今でも美男美女より、女は明るい気さくな働き者。男は面白く機転の利く働き者が一番モテるのだ。
船場弁は使われなくなったが、商人精神は脈々と継承されているのだろう。大阪公演のハードルをキチンと超えて千穐楽を迎えたいものだ。