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大阪ん♪ラプソディー

笹事件
 大阪、京都、兵庫あたりは商売の神様として「恵比寿」を信仰している人が多い。商売人が多いから当然そうなったのだろうが、大阪人としても、演劇も商売だという自負もあり、私が毎年行っていたのだが、今ではうちの劇団内に「えびす部」なるものがあり、毎年お詣りに行くメンバーが増えている。
 戎っさん(えべっさん)と大阪では親しみを込めて呼び、お札の代わりに笹の葉を貰ってくるのが通常だ。行けば誰でも笹は貰えるのだが、そこに商売の繁栄を願って金の俵とか、幸運を呼ぶ小槌とか、小判などの飾りグッズを買って付ける。意外と高くて3つも付ければ一万円くらいすることもあるので、知り合いのスタッフ夫婦が飾りは外して毎年使い回していると言い放ったことがあった。「罰あたりめ!」と叱ったが、彼らにとってはクリスマスツリーの飾りみたいなものなのかもしれない。
 さて、元も子もない書き方をすると神様は人間の作り出したものである。そんなこと大人だから知っている。しかし! 人間は自分たちが宇宙の中で一番偉いわけではないことも知っている。神羅万象あらゆるものに生かされているということも知っているし、自然の驚異や、老いの不安に苛まれている。そこで自然と人間以上の存在を崇めることが始まり、形になって行ったのが信仰だ。
 私たち演劇人はその中でも人智を超えた世界に踏み込むことがある。ある時は神を演じることもあるし、歴史上の人物や、殺人者や、戦争で無念に死んでいく人や、時にはこの世に存在しない者にだって成ることもある。またそれを創り出すこともしている。いわば「世界」を創り出してもいるわけだ。
 そんな仕事をしているのだから、創造というものに畏怖の念を持ち、一年に一度くらい神様にお詣りして「どうぞ興行が何事もなく、誰も怪我も病気もせずにやれますように」と手を合わせることくらいしないと落ち着かないものなのだ。もちろん、あらゆる仕事に携わる人が他に感謝することが、自分の心を引き締めることだと知っている。
 と、今までは思っていた!しかし、若い劇団員はどうも違うようだ。今年の戎っさんに行ったメンバーが、いつものようにお詣りの帰りに屋台で楽しく飲んでいる写真が携帯に送られてきた。それはいい、信心も楽しんですればいい。しかし、その時に一緒に写っていた肝心の笹を何日か経っても誰も事務所に持ってこない。
 「あのさー、笹は誰が持ってくるの?」とうとうこっちから劇団員ラインに連絡した。すると、どうやら若手のCちゃんが持って帰っているらしいという話になった。「らしいってなんや? 笹はお札の代わりやで。その日のうちにとまでは言わんけど、次の日には頭より高いとこにお祀りして、今年一年の劇団員の無病息災、商売繁盛をお願いするもんちゃうん?」と書いたばっかりに、たいして人数もいないのだが劇団が大騒ぎになった。
  「すみません、最近単に楽しんでいました。」「忘れていました。そんな気持ち」「申し訳ありません。僕が後輩にそこまで言っていませんでした」と書き込みが相次いだ。Cちゃんはおそらくそんな大層なことだと思わず、笹を紙袋かなんかに入れて自分の部屋に放りっぱなしにしてあったのだろう。ついでの時に事務所に持って行けばいいやという、子供のお使い的な受け取り方だったのだと思う。
 いい大人が10人ほど、笹ひとつで神の意義まで話し合い、論じ合い、やっと松の内の間に事務所に飾り終えた。劇団ではしばらく「笹事件」として語り継がれるだろう。今度のことで若手の団員が、戎っさんに行くということは、謙虚さと娯楽をどちらも体験するものだと知ってくれればいいのだが。