
- ゴミと宝の山を読む
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自粛期間に去年死んだ母の遺品を整理していた。それはそれは物を捨てない人だったので、凄い物量でまだ半分も片付いてないが。母はかつて下宿屋を営んでいた。そのせいで実家は6畳くらいの部屋が4つ並んでいて、それぞれに小さな台所が付いている。
この構造がいけなかった。どの部屋にも押入れがあり布団がある。炊事が出来るわけなので、母はその一部屋ずつを物でいっぱいにして足の踏み場が無くなると、次の部屋に移り住むという生活を繰り返していたのだ。
90代に住んでいた部屋は簡単だった。ガラクタばっかりだったからだ。「情けは無用! 泣いて馬謖を斬る」とか独り言を言いながら、カレンダーの切れ端やら、大量のティッシュやらをゴミ袋に詰め込んでいくだけで済んだ。
しかし、段々と80代、70代に使っていた部屋に差し掛かると大事なものが出てくるようになった。箱に入った新品の風呂敷やら、未使用の食器や圧力釜、昔使っていたであろうお茶の道具などなど。
「なんで私のへその緒まで、ここから出てくるかな?」という日もあったが… おおむね使えるものだった。
そうなると捨てるのは忍びない。結局、使いそうな友達や知り合いに「こんなものが出て来たけど、使わない?」と写メを撮って送り、欲しいと返事があれば梱包して送る日々を過ごした。
大人同士の付き合いなので、向こうからお礼に山菜だの、味噌だの、お酒だのを送り返してきて、自粛期間は物々交換会みたいな生活を繰り返していた。
そして、ついに母の使っていた60代の部屋まで到達したときに、古い手紙の束が出て来た。読んでみると父が浮気した相手の女性が寄こした詫び状とか、付き合っていた女性の起請文とかである。「えええ? なにこれ、全部親父の女が送ってきた手紙やん」という感じだった。
母は何を思って置いてあったのだろうか?興味津々で読み進むと、お金のやり取りがあったような記述のあるもの出て来た。「マジ? 親父の彼女から慰謝料取ったってこと?」と私は色気など微塵もなかった生真面目で厳しかった母の新しい一面を見たような気になった。
物に興味が無くなった90代とは違って、大事に箱に入れたり、丁寧にしまわれている遺品には人の色気が沁みている。「ははーん、この箱に入れてあるってことは大切な物なんや」とか「お、これは特別扱いしてあるな。ワニ革のバッグ高かったんやろうなぁ」などと、人の気配が感じられるようになると思考や性格が見え隠れし、まるで小説を読むような面白さに変った。
そう、今私は自分が知らなかったある女の一生を読み解いている最中だ。
近年隣に家を建てて、行き来して住んではいたが、20歳で家を出てから同じ屋根の下で暮らしたことはなかった。私たちは本当に思考の違うドライな関係だったので、改めて母を知る自粛期間だった。