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大阪ん♪ラプソディー

ビーマイベイビイ
昭和の頃、うちの実家は、いわゆる町のアパートを経営していた。各部屋に小さな台所が付いていて、トイレとお風呂、洗濯場、物干しが共同という造りだ。従姉夫婦も一階の部屋を借りて住んでいた時期がある。従姉のC子姉ちゃんは私より15歳年上で、戦争の終わる年に生まれた人だ。子供の頃に自動車事故に遭い、左足の太ももの半分くらいのところから失った。
 いや、彼女がそのためにどんなに苦労してきたかとか、そういう話ではない。なんせC子姉ちゃんは強靭な精神力の持ち主だった。物事を達観してみる女性で、けっこう皮肉屋でもあった。漫画オタクで中学生の私にはなかなかブラックなことを言ってのける頼もしい毒舌クィーンだったのだ。
 そんなC子姉が障がい者であるリスクを跳ね除け、男の子M君を生んだ。私が中学2年に上がる年だった。兄弟の居ない私はその赤ちゃんをムチャクチャ可愛がった。
 そこに目を付けたのかC子姉ちゃんは「M君を散歩に連れてって」とか「お風呂入れて~」「買い物頼むわ~」とか言い出した。子育てが大変なのは分かるが、言い方がすごい「ほら、見て。私足悪いやんか。行かれへんもん」と言うのである。
 私も負けずに「姉ちゃん、障がいを理由に私を下僕扱いしてない?」と聞いたが「してない、してない」と一笑されて終わった。そしてまた用事を言いつけられる日々だ。うーん、障がい者恐るべし…と思った14歳の春だった。それでも働きまわったのは、なによりM君が可愛かったからだ。
一家が、公団が当たったからという理由で引っ越して行ったのは4年後くらいだったろうか。泣いたことのないうちの母が、最後までM君を抱いておいおい泣いていたのを思い出す。私の人生の中で一番長く、一番近く一緒にいたベイビイだった。
 しかし、こちらも大人になり段々疎遠になって行った。その後の彼らのことは去年亡くなった母の口から時々聞く程度。M君は両親が障がい者だったので、楽をさせたいと早くに美容師になり、結婚したとか。若くして美容院を開業したとも。「へぇ、えらいな」と思ったのも何十年も前の事だ。
 先月の事である。私のツイッターのアカウントに女性の名前で 「お久しぶりです。C子の息子のMです」と書き込みがあった。最初は「え? どういうこと… なんで女性名? 本物?」と思ったが、次々と書かれている内容がどう読んでも本人なので、直接メールしたら、そうあのM君だったのだ。「マジでぇぇぇぇ?」と叫んで情報を交換し電話をするに至った。めちゃくちゃ興奮してかけたのに、向こうは「姉ちゃんが、テレビとか出てるの見てるから、こっちは知ってたよ」とあっさり言い放った。なんだそれ! 早く言えよ。みたいな感じだ。
 そして私のベイビイは「俺もう48やで」との事。当たり前や、こっちが還暦過ぎとるんやからな… なんでも自分では連絡する術もなかったが、若い奥さんが「有名人やし、ツイッターやってるんちゃう?」と言い出して、私を探し当てたという。年下の知恵に感謝である。
 毒舌クィーンC子姉ちゃんは去年亡くなったそうだ。死ぬ前にもう一回会って命令されたかった。そう思うと少し寂しいが、M君とはまた付き合いが始まりそうだ。会うことになったら36年ぶりだ。たぶん! SNSってすごいなぁ。