特別インタビュー vol.04
全盲のヨットマン 岩本 光弘 氏
4月25日、サン・ディエゴから無寄港でダグラス・スミスさんと太平洋横断に成功した岩本光弘さんが熊本三協スプリングまで足を運んでくれました。
全盲のヨットマンで太平洋横断は世界で初めての偉業となります。

御社の赤松社長さんを、私のセーリング仲間でありまた今回の太平洋横断プロジェクトを支えてくださっているボランティアの谷本さんにご紹介いただいたのがきっかけでした。

Q2. ヨットとの出会い
私のアメリカ人の家内が中高生のころセーリングをやっており、結婚して千葉市の稲毛海岸に住んでいた時、週末散歩をしている時に稲毛ヨットハーバーでセールボートのレンタルを見つけ、やってみようかと海へ出たのが最初です。

Q3. 太平洋横断チャレンジのきっかけ
2013年ニュースキャスターの辛坊さんと最初の太平洋横断に挑戦したのですが、残念ながらクジラとの衝突により途中で断念せざるを得なくなりました。その後、メディアやネットでのバッシングに合い、また救命いかだで11時間以上漂流した経
験から海が怖くなったこともあり、6か月ほどセーリングに行くことができませんでした。しかし、ここであきらめてはいけないと思い直し、再び立ち上がり歩き出しました。しばらくして、クジラがぶつかったことにも意味があると思えるようになり、将来の成功を100倍にも1000倍にもしてくれるために鯨がぶつかってくれたんだとポジティブに捉え、太平洋横断の再チャレンジを公言するようになったのです。
目が見えない私が太平洋横断に挑戦したこと、また一度命を失いかけながらももう一度やりたいと言ってるスピリットに、今回のセーリングパートナーであるダグラス・スミス(ダグ)が感銘してくれて、彼が、手を挙げてくれたのがきっかけで今回のDREAM WEAVERプロジェクトが始まったのです。
>Q4. 横断中のメンタル維持
ヨットは夜も動いていますので二人が交代で見張りをして24時間体制で備えました。ぐっすり寝ることができません。波の音で起こされたり、風が強くなり帆を小さくするために寝ているところに作業が入ったりとゆっくりできません。睡魔との闘いが辛かったですね。また、低気圧が近づき、ヨットが45度ほど横に倒れた状態で、
しかも高波のため、縦に10M(4階に立って地面を見るくらいの高さ)叩きつけられるのです。船内を歩くのも両手で壁や手すりをしっかりと持って移動しないと床に叩きつけられます。お湯を沸かしていつものようにフリーズドライの食事をとることさえ出来ず、水とせんべいで空腹を満たしたこともありました。
このようなストレス状態で私がよくやったことは瞑想です。眼を閉じ、ゆっくりと呼吸をしながら今生きていることに感謝、嵐の中、頑張ってくれているヨットDREAM WEAVERに感謝すると、不安やストレスがなくなっていくのを感じました。
あと、この苦労の後には必ず素晴らしい時間がやってくると信じて希望をもって低気圧の中セーリングを続けました。

Q5.横断を終えて
飛行機でサンディエゴから東京まで来るのに12時間ほどですむでしょう。それなのに、どうして55日もかけて命を懸けてこのような挑戦をするのかとよく聞かれるのですが、その答えは、飛行機では得られないものがそこにはあるからですと答えています。苦労すればするほど到着した時の感動は大きなものになります。
この感動を感じるために、6年前にクジラと衝突し、命を失いかけても再チャレンジしたのです。御社をはじめ多くの方々にご協力いただき、このように夢を実現できた私は世界一幸せな人間だと思っています。

Q6.メッセージ
太平洋横断は人生の縮図そのものだと思います。山あり、谷ありです。嵐がずっと続くことはありません。じっと我慢していればやがて気持ちの良いセーリングができる日が来るのです。今、人生のどん底にいると思っている人にも時がたてばやがて楽しい時間が与えられます。それを信じて乗り切ってください。
