ホームへ戻る > エッセイ&コラム > 大阪ん♪ラプソディー > 大阪ん♪ラプソディー【第118回】
先日、友人が小学生の国語の問題を取り上げて嘆いていた。
【「小学6年生としてがんばりたいこと」を相手の読みやすいように書き直しました。1~4のうち最も適切なものを選んで番号を書きましょう。】という内容だ。
その4拓というのが①とめやはねの書き方。②文字の大きさ。③文字と文字の間。④行の中心。というのである。友人は「これは何の問題?」と疑問に思ったようだ。彼女は元新聞記者で、今は作家でもある。自分が小学生だったら、この問題を出されていたら国語を好きにならないだろうと指摘している。そしてこれで子供たちが字を書く仕事に就きたいと思うだろうか?と。
最近SNSで、似たような投稿を目にした。子供が持って帰って来たテストの採点が答えは合っているのに、字の書き方が指摘されて×になっているというものだ。
形を整える。日本人はそれを大切にする文化の中で育って来た。「読む人の気持ちになって、相手のために綺麗な字を書きなさい」「目上の人にはお辞儀をしなさい」「大きな声を出したら他人に迷惑だから止めなさい。」「お金は大切な物だから、相手に投げたりせずにきちんと渡しなさい」そうやって育つ。
そして外国に行って、いきなり相手に抱き着かれてドキドキし、大声で喋りかけられ困惑して黙り込み、くちゃくちゃに書いた読めないアドレスを貰って解明するのに時間がかかり、買い物に行けばレジでお金を投げられ仰天するわけである。
いったい何が正解なんだ? と言いたくなるが、どうも「心技体」という言葉がバラバラになってしまっている結果ではないのだろうか。手紙一つでも、内容を伝えたいという気持ちがあれば、相手に読みやすい字を書くわけで、そこを4拓問題でバッサリ切り取るからおかしなことになってしまうのだ。
或いは成長の家庭の問題でどちらを優先して教えるべきかという問題もあるだろう。まず「6年生としてがんばりたいこと」を書かせて、それから「この書き方では自分の気持ちが100%通じないから、もう少し見やすい字を書こう」と教えるのがいい順番なのかもしれない。教育現場の事はよく知らないので、そんな悠長なことしてられないんだよ! とお叱りを受けるのかもしれないが。
芝居でも同じことがよくある。俳優が、恰好や声ばかり気にして、気持ちの籠ってない台詞を言っていると見ていて飽きて来る。反対に気持ちの籠った台詞を言っているのに、バタバタ動いて聞き取れず残念に思うこともある。
結局は形から入っても、気持ちから入っても、最後にはどちらもバランスよく持ってないと相手には通じない。まず自分はどちらが得意か見極めて、それが利き手だと考えたら、不器用な方を気にすることだ。
ちなみに私は芝居に置いては形から入るタイプだった。心から台詞を吐くという気持ちを手に入れるために相当な時間がかかった様に思う。いや、今も苦手と言えば苦手である。心技体、手強い言葉だ。