ホームへ戻る > エッセイ&コラム > 大阪ん♪ラプソディー > 大阪ん♪ラプソディー【第136回】
今年の夏の終わりに20年飼っていた猫が死んだ。タロウという名の黒いオス猫だった。このエッセイを書かせていただいている三協精器さんの本社にお邪魔した時に「副社長」と呼ばれている猫がいたことに驚いたが、猫という生き物は実に面白い。昔から小説の題材になるのも分かるような気がする。
タロウは2003年7月にうちの旦那が大阪城のジョギング中に拾って来た。手のひらに乗るほど小さく痩せていて「これなに? コウモリ?」と夫が不思議そうに眺めていた。黒くて痩せた三角の顔はたしかに翅のないコウモリのような印象だった。
私は家で猫を飼ったことがなかったが、当時は隣家に母が居て、猫を三匹飼っていたのでさっそく世話を習いに行った。タロウはおそらく生後ひと月も経っていなかっただろうか、 小さくて可愛らしかった。
しかしその年の冬に私たちは2人とも東京で2ケ月も仕事があり、母に預けていく事になったのだ。そして戻ってみるとすっかり母の家の猫になっていた。
少し寂しい気もしたが、いつ仕事で居なくなるか分からないので母の家の猫になることの方がタロウの幸せだと思って諦めた。
それでも若いうちは我が家の方にも散歩にやって来たりしていたが、母の家の猫が段々と亡くなり、ついにはタロウ一匹だけになると、母と寝食を共にして我が家には来なくなった。最晩年の母は最期に入院する前の日までタロウと一緒に寝ていた。いわば彼女の最期を看取った猫だった。
母が死んだ後も実家にいたが、段々と我が家に近づき始め、ついにはまた住み着くようになった。4年前のことである。そして今年の夏、それまでは一階下のトイレまで行っていたのが2階でするようになり、遂には何も食べなくなり、鼻血が出るようになり、ヨロヨロと徘徊するようになった。最期は確実に近づいていた。
私は時々抱き上げて、水にクロレラを混ぜたものを注射器で飲ませてやることくらいしか出来なくなった。そしてとうとう自分の力では立てなくなった日、めちゃくちゃ熱い夏だというのに、なぜかその日は涼しかった。「自然の風に当ててやろう」と旦那が言い出して、いつも日向ぼっこをしていた窓際に寝かせてやった。そして夜、タロウの寝ている窓際から月が見えて、奇跡のように爽やかな風が吹いていた。
歳をとってからは白内障だったのか黒い目をしていたが、若い時は黄色いキャッツアイと呼ばれる瞳だった。「お月さん出てるよ、タロウの目と一緒やな」と月を見上げて、1時間くらいして静かに息を引き取った。20歳、人間で言うと96歳くらいになるそうだ。大往生だった。
私たちはおそらくあんな風に自然の風に吹かれて月を見ながら死ぬことは出来ないだろう。自然に帰るという言葉が納得のいくような死に方だった。猫は人に人生を教えてくれる。ワガママに振舞ってもいいと見本を見せ、トイレの後始末をキチンとしてエチケットを守ることを教えてくれる。過度に食べ過ぎるようなみっともない真似もせず、子供を産んだら自分がやせ細るまで赤ん坊に乳を与える。そして義理堅く甘えて来たりする。まことに見習わなくてはならないことばかりだ。
これから満月が少し欠けた月を見たら私はタロウを思い出すだろう。20年生きた猫を。