ホームへ戻る > エッセイ&コラム > 大阪ん♪ラプソディー > 大阪ん♪ラプソディー【第144回】
テレビで海外の番組を見ていた時のことだった。「世界の産業廃棄物第二位は洋服です」というコメントを耳にした。「いま、一枚も新しい服を作らなくても6世代分の着るものが地球にあふれている」というのだ。
これにはズシンと一発食らったように思った。私たちが子供のころには「一張羅」という言葉があった。親が子供の参観日に着ていく服や、結婚式などに出席するときに「一張羅出して、虫干ししとかなきゃ」なんて言っていたものだった。そしてその一張羅はまさしく一枚しかない服で、どの記念写真にもそれを着た姿が映っていた。
それを恥ずかしいとか、1枚しか持ってないから貧乏くさいなんて誰も思わなかった。それが昭和の普通の大人の姿だった。普段着などはいつも同じ服でもちっともおかしいと思わなかったし、子供のズボンには必ずと言っていいほど膝当てが付いていた。転んで破ってしまうので母や叔母たちが繕ってくれたものだった。私の両膝にも裁縫が得意だった従姉の作った犬と豚のアップリケが張り付いていたのを思い出す。その顔が可愛いから転ばないようにしなきゃと思っていたものだ。「貧乏人やな、新しいズボン買われへんのんか」なんていう人は皆無だった時代だ。
ところが高度成長とともに、人はお洒落を楽しむようになり一張羅は二張羅になり、三張羅になり、やがてそんな言葉は死語になりタンスの中には服が入りきらなくなっていった。シーズンごとに新しい服を買うのは当たり前で、今年の流行の色なんてのが雑誌に載るとこぞってその色の服を買うようになった。
それどころか「やっぱりコートはバーバリーのを一枚持ってないとな」「披露宴に行くから奮発してシャネル買っちゃった」とブランド物の服を買うようになって、お洒落はステイタスの象徴に進化していった。
そしてあらゆる服を買いつくして、着倒してきたのだ。自分だって振り返るとどれほどのお金をお洒落に投じてきたことか… そのツケが地球に重くのしかかっているというのだ。合成繊維でできた服を処分することはCO2を排出し、地球温暖化の一因になっている。私たちが「この服可愛い~」と言って手にしてきた結果が未来の地球を傷だらけにしようとしているわけだ。「そんなこととは知りませんでした」では済まない。実際に着なくなった洋服の処理はすでに公害なのである!
ここ数年、欧米のブランドメーカーでは古着のリメイクに力を入れ始めている。グッチやヴィトンだって例外ではない。先日はパリコレで、たんぱく質を素材にした布を使ったデザイナーの特集をやっていた。その服は廃棄する時に燃やさなくても、たんぱく質なので土に返せるらしい。すごい進化だ。
さて、そんなことで私は自分にできることとして、ここ数年、下着以外は古着を買うことにしている。ささやかだが世界に溢れかえっているまだ着れる服を手にすることで、少しだけ未来に投資しているつもりだ。蟻の一歩だって、踏み出さないよりいい。