ホームへ戻る > エッセイ&コラム > 大阪ん♪ラプソディー > 大阪ん♪ラプソディー【第150回】
私たち演劇界で生きている人間には、暗黙の了解というか、それなりに決まりというものがある。例えば稽古場でも劇場でも、俳優がど真ん中の席に座ることは決してない。いかに優れた俳優といえども、誰かから見てもらう立場である、だから演出家がセンターから見るのが常識だ。例えば若くて何も知らない俳優がセンターラインに座ってしまったとしても、誰かが「おい、ここはダメだ」と注意する。
よく聞かれる業界の「おはようございます」という挨拶もそうだ。慣れっこになってるので不思議でもなんでもないが、何時でも「おはようございます」と言うのは映画の撮影の現場の習慣らしい。スタジオに籠っていたら外が何時かわからないので始まったと聞いている。どこで演劇界全体に飛び火してきたのか知らないが、真夜中に飲んでても、知り合いを見つけたら「あ、おはようございます。」と即言ってしまうので、私も業界人の端くれなのだろう。ちなみに同じように夜中まで働いてても、出版業界の人は言わない。
なぜこんな話を書いてるかと言うと、先日やった古典芸能のコラボ公演であっと思ったことがあったからだ。落語と朗読、さらには日本舞踊もやる公演なのだが、その全部の演目の演奏を三味線の生演奏で繋いでもらった。舞台の上手(お客様から見たら右手)のところに紺色の毛氈という絨毯のようなものを敷いてもらい、そのエリアで演奏してもらったのだ。そこに今回、特別に出演してもらった「ツケ打ち」の方が加わることになった。
ツケ打ちというのは歌舞伎などで木の板に拍子木を打ち付けて「バタンッ」という音を鳴らす裏方さんのことである。歌舞伎は昔ながらの生演奏で上演するので争ってるシーンや、見得を切って演技をクローズアップする時にこのツケ打ちの柝(き)が入るのだ。この音があると無いとでは大違いなので、古典芸能の音としては重要な役割でもある。
歌舞伎の芝居を題材にした落語で時々、袖から入ることがあるが、普通は袖で落語家の仲間が見様見真似でやる。今回のように本物のツケ打ちの人に来てもらうのは滅多にないことだった。
打ち合わせの段階では、三味線のエリアに出てきて打ってくださいと伝えてあったのだが、「毛氈の上に座るなんて出来ません。下手の板場のところで結構です」という返事が返ってきた。
歌舞伎や古典の生演奏の場合、一番偉いのは「タテ三味線」というポジションである。平たく言うと三味線のソリスト、現代的に言うとリードギターみたいなものだ。その人たちはたいてい毛氈の上に座るのだが、ツケ打ちは舞台の端の方に出て来て柝を打つのが常識だ。つまり何を言ってるかと言うと「三味線の方のエリアに裏方は行けません」と言ってきたのだった。
私たちの会は完全にしきたりを無視したコラボの公演だったのだが、居心地が悪いのでということで急遽、板場でやってもらいことになった。自分の世界の決め事をどこででも守る美学、日本人特有のこだわりという人もいるだろうが、ちょっと素敵だなと思った。
ちなみに当日やってきたツケ打ちのK君は礼儀正しい青年だったかというと、ヘラヘラした江戸っ子であった。舞台のしきたりと、普段は全然関係ないようだ。それもまた現代っぽくて良かった。