ホームへ戻る > エッセイ&コラム > 大阪ん♪ラプソディー > 大阪ん♪ラプソディー【第152回】
ここ数年、大学で芝居を教えていることもあり若い学生がうちの劇団に手伝いに来てくれることがある。その中にH子ちゃんという20歳の女の子がいる。
最初は豊岡で会った。一般市民の人の演劇講座というのがあって、そこの講師をしているのだが彼女が参加してきたのだった。地方の演劇の講座の仕事が時々あるのだが、参加者はたいてい仕事をリタイアしたおじさんや、学生時代に演劇をやっていたというおばちゃんがワイワイとやって来る。平均年齢はいつも60歳オーバーだ。そこへ20歳の女の子が来たものだから皆驚いた。「本当にこの講座に参加してていいの?」という聞いたくらいだった。
H子ちゃんは大阪市内にある大学の演劇科に通ってて、豊岡のワークショップのチラシを見て「あ、わかぎゑふさんが講師だ」と思って応募してきてくれたらしい。大学に入ってから演劇の勉強を始めたとかで、学校以外でも勉強できる機会があったらどんなところにでも行くという。ということで私は彼女を食事に誘い、ラインを交換した。その後も稽古を見学に来たり、私が演出しているほかの舞台を観に来たり、とても熱心にやってきてくれる。
おまけに彼女の通ってる大学で、私が来年一年授業を受け持つことになった。3年生に一年を通して芝居の演出をする仕事だ。H子ちゃんはちょうど3年生になるそうで、私の授業を受ける気のようだ。縁とは面白いものだ。
ここまでは素晴らしい出会いの話なのだが、若者について少し思うところがある。最近H子ちゃん以外にも高校3年生の女の子や20代の男の子たち数人が手伝いに来てくれるようになっている。演出した市民ミュージカルの教え子だったり、現場で知り合ったりと色々だが「勉強したいんです」という気持ちでやってくるのだ。
実にありがたいし、可愛いと思う。しかし彼らに共通してるのが「すぐに吸収して、ステップアップしたい」という気負いだ。そのため本番のお手伝いに来てくれたりすると、がっかりするようだ。理由は仕事が簡単だからだ。客席を並べたり、掃除や、チラシを挟み込んだり、当日のお客さまの案内など、公演には絶対必要なことなのだが「これじゃあ演劇を学べない」と感じるようだ。我々に言わせるとその体験こそが演劇の勉強であって、実際に台詞を覚えたり、演技をすることよりも大切な時間でもあるのだが、若者には伝わらないらしい。
H子ちゃんは女の子なので女子楽屋にも出入りしていた。ある本番中のこと、彼女は我々の傍で背中を向けてお弁当を食べていた。受付周りのスタッフさんは開演中に食事をとるのが通常のことなので、それ自体は構わないのだが、しかしH子ちゃんはあらゆる演劇の勉強に来ているはずだ。
女優が何人も着物を早着替えしている様子ほど勉強になることはないのだろうか? いったい何を吸収しに来てるのだろう? と不思議に思った。それを言うべきかどうか悩んだが、私は一旦黙っていることにした。H子ちゃん自身が気が付かなければなんにも身に付かないと思うからだ。でも気が付かなかったらどうしようか? と今度はそっちで悩んでいる。教える、伝えるという事ほど難しいことはないと思う毎日である。