大阪ん♪ラプソディー【第154回】

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「正確にどこまで言えますか」


 日本語では物を数える時に助数詞を使うのが普通である。
「個、枚、本、台、杯」などなど。分類としては「個=形があり、持ち運びしやすいもの」「枚=薄くて平たいもの」
「本=細長いもの」『台=機械や車』「杯=器に盛られたものや液体」と理由がある。
 数え方でそれがどんなものなのかイメージしやすく分かれているのだ。鳥居や墓は一基、烏賊は一杯、武道はひと房、ブロッコリーはひと株、キャベツはひと玉、豆腐は一丁、タンスはひと棹などなど、それこそ数えてたら切りがない。それが日本語の特徴でもあり、面白いところでもある。
 神様にだって数え方がある「柱」と言う。日本神話では、神は自然物や樹木に宿ると考えられていたので、大きな木には神が降臨するとされてきた。それを崇拝するところから柱は神と結びつく重要な要素となったのだ。大ヒット漫画「鬼滅の刃」に登場する「柱」もそこから来ているのだと思う。
 だが… 少々複雑すぎるのだろう。「靴下が片方だと一枚、両方揃ってると一足というのは邪魔臭すぎる!」と日本語を勉強してる外国人の友達が言っていたのも思い出す。彼らにしてみたら、そんな助数詞覚えるよりほかの単語を覚えたいというのが本音なのだと思う。
たしかに近年助数詞はどんどん統一されてきている。例えば小さい動物は匹、おおきいものは頭と別れていたが、最近ではほとんどが匹だ。なんでもかんでも「ひとつ、二つ」か「一個、二個」で済んでしまう。一番顕著なのは若者の年齢に関する言い方である。年齢自体を一歳、二歳と数えるのはいいとして、例えば「お兄さんと幾つ年が離れてるの?」と聞くと「あ、2個上です」と答える人がほとんどだ。
 「二歳上です」と言うのが正しいわけだが、いつからか「歳」が「個」になった。」おかしいだろう!「父親とは25個違いです」って、果物じゃないんだから! とムカムカしてしまうのは私がオバサンだからなのだろうか。
 時間の言い方もかなり変わってきた。今の30歳以下くらいの若者はみんな「分」を「ふん」としか言わない。「一分(いっぷん)二分(にふん)三分(さんぷん)四分(よんふん)五分(ごふん)六分(ろっぷん)七分(ななふん)八分(はっぷん)九分(きゅうふん)十分(じゅっぷん)」というのが正しいわけだが、この三分と八分は完全に「さんふん」「はちふん」という言い方に変わっている。それどころか「あと何分ですか?」という言い方も「あとなんぷんですか」ではなく「なんふんですか」と言うのだ。なんだか間の抜けた聞き方ではないか。しかし若者は普通にそう言う。そして学校でも特に直されないという話である。
 なんでやねん! と心の底から言いたいが… そういう私だってウサギを「一羽」蝶々を「一頭」とはさすがに数えない。全部「匹」で済ませている。もう地図を「一舗」とは言わないし、めんたいこを「一腹」なんて言ったこともない。言葉と言うのもは時代と共に変化していく。
 エッセイスト・脚本家と言う肩書を持っているので、なるべく綺麗な日本語を使いたいは思っているが、時代の流れには逆らえないようだ。せめてお箸の一膳、新聞の一部、手紙の一通など残ってほしいものである。単に好きなだけなのだが。 あ、小説の一篇、粉薬の一包、ビル一棟、ティーカップ一客、ざるそば一枚、着物一反とかも残したい… キリがないのでこのへんで止めときます。  

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