ホームへ戻る > エッセイ&コラム > 大阪ん♪ラプソディー > 大阪ん♪ラプソディー【第16回】
先日、京都の狂言師、茂山逸平君から手紙をもらった。それは彼ら茂山家の若手が主催する狂言会に私がゲストで出演する予定だったので、その手順を知らせる内容だった。狂言のゲストなので、現代劇の私にはまったくのアウェイである。しかし出演するシーンが2分ほどなので、稽古はなくぶっつけ本番ということだった。
彼の手紙はたったひと言「横着してごめんなさい。宜しくお願いします。」と書かれていた。
久しぶりに聞く言葉「横着」これは関西に住んでる人でないと分からない隠し言葉である。通常だったらストレートに「手順をはしょって稽古もせずにすみません」と受け取るのが当たり前だが、長けた関西人は裏を読む。これは「稽古ないけど、この程度のことはやってもらえると信じてますんで、そこのところ宜しく」という意味なのである。
一昔前まで、関西では子供によく「横着しなさんな!」と叱ったものだった。それは手抜きを叱る言葉なのだが、裏を返すと褒め言葉でもあった。要するに手抜きが出来る頭の良さを持った子供に対して、それでも子供のうちからそんなことはするなという駄目だしでもあったのだ。ゆえに大人が「うちの子はすぐ横着するねん」と言うと、本当は「うちの子は賢い」と言う照れ隠しでもあった。
そして自分でも「賢い」ということを自覚している子供の方も「横着してごめんなさい」と言葉では言いながら、暗に「でも大丈夫でしょ?」と聞き返すわけである。
そう、「横着」は、かつて大人対子供の粋な関係を表わしていた。今の大人は子供をすぐに褒めるし、子供も大人の建て前を守って下手に出てあげようなんて、こまっしゃくれたところは無い。
久しぶりに聞いた粋な謝り方。うーん、さすがは京都の狂言師。と思いながら私は昔の大人と子供の関係の方が逆に対等だったように思った。子供を「小さな大人」と見ているような部分があって、それが子供にも嬉しさをもたらしたように思う。関西人の隠し味も薄くなったものだ。