ホームへ戻る > エッセイ&コラム > 大阪ん♪ラプソディー > 大阪ん♪ラプソディー【第26回】
「ふる里は遠きにありて思ふもの」と書いたのは詩人の室生犀星だったろうか。お正月やお盆の里帰りの帰省ラッシュを見ていると、ああ、ふる里に帰るんだなと眺めて見入ってしまう。
私は大阪のど真ん中で生まれ育ったので、日本人がすぐにイメージする山や海に囲まれた風景のふる里はない。大阪城を見ると故郷に戻ってきた感覚になるが、郷愁のようなものは沸かない。
うちの主人は大阪でも最も賑やかな繁華街のひとつ十三(じゅうそう)という町で育ったので、ネオン街を見たら、「おお懐かしいなぁ」と言うくらいで、田舎にまったく興味がない。理由は「コンビニと病院と、映画館が近くになかったらよう住まん」である。典型的な資本主義社会の申し子みたいなものだ。
友人に言わせると「甲子園がわしの心のふる里や」と胸を張った。とかく関西人は日本人らしいイメージのふる里を好まない傾向があるようだ。「関西弁が通じるとこ」と言った後輩も居たくらいである。
あるサイトの統計だが、東京の若者に聞いたところふる里をイメージさせる言葉第一位は「豊かな自然」第二位は「気の合う友達」第三位は「美味しい郷土料理」という結果が出たそうだ。ちなみに将来田舎暮らしをしたいかという質問にも二〇%くらいが「はい」と答えたに留まった。
注目すべきは第二位の「気の合う友達」である。昔と違って都会がふる里という若者も増えてきた。そうなると「場」より「人」が自分のふる里になるわけだ。今後もその傾向は強くなるだろう。
おまけに第三位は「美味しい郷土料理」である。人と飯が上位を占めるというと、これはもう都会人が、みんな大阪化してきたと言っても過言ではない。他県の人から「大阪人って本当に大阪好きだよねぇ」と揶揄されることも多いが、わはは・・・ついに我々が先駆的日本人であることが証明されたかっという感じである。「ふる里は近き友と語らう食卓にあり」と言ったところだろうか。