大阪ん♪ラプソディー【第42回】

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「格好ええ大人」


 大学の授業でタバコの吸い方を教えた。いやいや実際に吸わせたわけではない、なんせ相手は未成年なので。
 実は今年から京都の大学で演劇を教えているので、演技の授業のちょっと余った時間に生徒が「タバコの吸い方」を教えてほしいと言い出して、それに応えたのだ。
 世の中は完全に禁煙社会にシフトしたが、芝居の世界では今でもタバコを吸う文化が残っている。それはアウトローを表現するためだったり、時代的背景を見せる手だったりするが、役者は生の肉体なので稽古は必要だ。
 未成年なので吸うのではなく、持ち方やくわえ方、灰の落とし方、火の消し方などの所作を教えるわけだ。
 正直、昔はこんなことを教えてくれる人なんて居なかった。なぜなら我々が10代の時は町中にタバコを吸う人が溢れていたのでどこにでも見本があったからだ。映画を見て格好いいタバコの吸い方だなと思うと、親のタバコを一本拝借して、鏡の前でしきりに真似したものである。
 生徒にそう言うと「どんな映画ですか?」とメモを取り出した。ああ、タバコ一本吸う仕草のために映画を観る時代なのかと思うとちょっと残念でもある。私たちの子供時代は格好いい大人だらけで、その真似をするだけで演技の勉強をしていたようなものだった。
 タバコだけではない。酒の飲み方、髪の毛のかきあげ方、車の運転の仕方、スカーフの巻き方…いろんなものが格好良かった。憧れていろんな真似をし、いろんなものを無理やり買ったものだった。その背伸び感がまた大人に近づいているような悦びにあふれていた。
 世の中も変わったのだろうが、「昔思っていたような大人になれてない」と感じる自分を抱えて大人未満を過ごしてきた世代としては反省もしなくてはならないのだろう。
 小学生の時に同級生が亡くなった作家の藤本義一さんの白髪の頭に憧れて「ぎっちゃん先生みたいな頭にしたいわぁ」といきなり砂場に頭を突っ込んで白っぽくなったかと言ったことがあった。もちろん砂だらけの彼の頭は白いどころか無茶苦茶になっていただけだったが…。
 アホみたいな思い出だが、あの時の大人は小学生にも憧れられる格好良さがあったのかと思うと、遠く及ばない今の大人の非力を感じざるを得ない。
 はぁ…格好ええ大人になりたいもんである。ってもう50代も半ばなんですけどね。

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