ホームへ戻る > エッセイ&コラム > 大阪ん♪ラプソディー > 大阪ん♪ラプソディー【第54回】
12月にやった芝居の中に「大阪弁は戦争の時は役に立たなかったが、戦後になって食料調達する時には抜群の効果を発揮しますね」というセリフを書いた。戦後の引き上げ船に乗った男たちの一人が船長室からリンゴを貰ってきて言う言葉だった。
私は何気なく書いたつもりだったが、このセリフに多くのお客さんが反応した。「あれ、いいセリフですね。言葉が生きてるって感じがよく出てました」とか「そうなんだよ、大阪弁は卑怯なくらい生活力あるんだよね」など、今の自分たちの生活と比べた感想が多かった。
そんな深読みされても…と内心で思ったが「そうなんですよぉ。大阪弁って生活臭が強いので、あの場面で役者に言わせたかったんですよねぇ」なんて話を合わせて笑って過ごしたわけである。
戦争中、夜中に行軍していたある部隊の隊長が大きな穴があることに気が付いたが、後ろの兵隊には言わないで進めと命令すると、「はい」と返答した部下が「おい、おっきい穴があるさかい、気ぃつけや」と小声で次の部下に教え、またそれを聞いた兵隊が「穴があるで、気ぃつけ」と次々と教えて行って全員無事だったという話を読んだことがある。その部隊には偶然大阪人が沢山いたというオチだった。
「ほんまかいな」と思ったが、穴に落ちて死ぬかもしれないのに伝えないなんて気が引けるという大阪人の心情は実によく分かる。たとえ上官に殴られても死ぬよりはええか、という考え方である。命令を守るより、人命を守る方が正しいと思ったのだろう。
今回の芝居の中には「大阪人は他人のことを呼ぶ時に『自分』と言うことも話題になった。「じぶん、何してるねん?」と相手に言うわけだが、他県の人はやはり戸惑うようだ。ちなみに関西の中でも「自分」というのは大阪と京都だけのようで、他の県では相手をバカにしているようで使わない人が多いとか。
イメージとしては子供に「僕、どこから来たの?」と聞く時に一人称が二人称に転嫁するように、明治以降のどこかで流行って定着したのだろう。
今回の芝居では小倉弁も少し出てきた。「置いといてあげるから」というのは「置いちょってやるけん」と言うらしい。九州弁の「ばい」「ち」「けん」の使い分けは我々関西人には記号のようだった。
方言は知れば知るほど深くて楽しい。来年は思い切り大阪弁を喋る芝居を札幌や名古屋でも上演する予定だ。上手く伝わるといいのだが。