ホームへ戻る > エッセイ&コラム > 大阪ん♪ラプソディー > 大阪ん♪ラプソディー【第62回】
この夏「向日葵のかっちゃん」という講談社から出版されている小説を舞台化した芝居を作っていた。
主役は小学5年生の男の子で、4年生まで特殊学級に入れられていた発達障害児だったが、ひとりの教師に出会ったことで画期的に成長し、6年生の最後には学年総代にまでなるという実話を元にした成長物語である。
映画と違って舞台なので、子供時代から6年生までをいかに見せるかというのが課題だった。そこで、キャストに両親やPTAの会長などの大人の役と、かっちゃんの友達の子供の役を二役させて、テキパキと演じ分けていくという俳優の運動量を見せることで、暗くなりがちな話を活気づかせるようにした。
だが、主役のかっちゃんだけは本物の子供でないと透明感が出ない。見た目は小学生といっても不思議ではない13歳と12歳の中学生がオーディションで選ばれた。2人ともすでに何本も芝居を経験している子役中の子役である。芝居のダメを出しても「はい」と言ったら必ず守ってくれて、実にやりやすかった。
ただ、2人に「それぞれが違ったかっちゃんを演じてくれていいんだよ。いい意味で争って」と言うと「どういうことですか?」とキョトンとして聞き返された。
その後、台詞に「オール5」というフレーズが出てきた時だった。「昔は5段階評価なんですよね」と言われたので「今はどうなの?」と聞いたら、「出来ました。良く出来ました。大変良く出来ました。の三段階です」と言うではないか。つまり今の子ども達の中に「出来ない子」はいないということらしい。
「じゃあ、この話の主役のかっちゃんみたいな、出来ない子が出来るようになるって感覚分かる?」と聞くと「分かりません」と自信満々に応えるではないか。
なんとなくゾッとした。近い将来、少子化で大学も入り放題になってきたら、スポーツでもしない限り彼らは争うことなく一生を終わるということだろうか。争えというのではないが「競争」は若い時期に得に必要な要素である気がしてならない。
ライバルが居るから自分の存在価値が分かる。競争することで切磋琢磨して成長する。それが正しい大人への道だと思ってきたので、争わない子供達にはとても戸惑った。芝居は旨く行ったが、彼らのことがまだ気になっている。失敗しても、ダメな日でも「やっちまったぜ」と笑いながら生きていけるまともな大人になって欲しいと陰ながら願っている。