ホームへ戻る > エッセイ&コラム > 大阪ん♪ラプソディー > 大阪ん♪ラプソディー【第84回】
母が亡くなった。97歳で大往生である。直接の死因は心筋梗塞ということだったが、倒れた時も無痛だったせいか結構元気で意識もあり、自分で手術を断ったくらいだった。
彼女は若い頃は身体が弱く、いつ死ぬかという状況が何回もあった。私は十代のころに両親を亡くす覚悟が出来ていたくらいだ。
まだ意識がハッキリしていた時にベッドで横たわる写真を本人に見せたら「いやぁ、死にかけてるやん」と笑っていた。いやいや、あんたの写真やん! とツッコミを入れたくらいだ。
最期まで明るく、本当によく生きてくれた。倒れる2日前まで自分で歩き、自分でトイレにも行って、私はお金の管理と食事の面倒をちょっと見ていたくらいだった。
そんな死に際の老人なのだが、現代の医療の現場というのは、まず生かすことを優先するのだなということもよく分かった。そして現場の若い看護師さんたちのなんと献身的なことか。いやぁ頭が下がりました、本当におおきに!
そんなことで2週間ほどは意識もはっきりしていたが、食欲が急激に落ち、感染症を併発して意識がほとんどなくなってしまった。そしてついに看取り看護に移行した。老齢の身には一つのアクシデントが命取りだったのだろう。
点滴を外し、目を覚まさないので水も飲まない状態になった時に、医者が「持って7日間くらいだと思って下さい」と言ったのだが、なんと18日間も生きた。最初はこれって自然に餓死させてるってことやなぁと、ちょっと心が痛んだが、いつ行っても赤ん坊のようにスピスピ眠っている母を見て「なんやこの生命力?」と不思議に思う方が勝ってしまった。
ちょうど芝居の本番直前だったのだが、なんと稽古最終日に亡くなり、俳優全員がお通夜に来てくれ、劇場に入る前の日にお葬式を上げて、芝居には何の支障もなく終わった。
正直、私たちは仲のいい母娘ではなかったが、プライドの高かった母らしく私に迷惑をかけずに生き切ったのだと感心した。
自分の老後を大いに考える機会になった。お棺の蓋を閉める時に「彼女の人生の締めにお付き合い下さいましてありがとうございます! お手を拝借!」と一本締めをして見送った。とっさの思い付きだったが、97年を見事に生き尽くした母にはふさわしい締めだったと思う。
猫好きだったので、きっと今頃は白くてかわいい猫に生まれ変わっているだろう。