ホームへ戻る > エッセイ&コラム > 大阪ん♪ラプソディー > 大阪ん♪ラプソディー【第86回】
親友が一人居る。女子中学時代からの友達でKちゃんという。私たちは一緒に漫画研究会を作り、一緒に旅行に行き、よく遊び、よく食べ、よく同じ服を偶然買ってきたり、東京にも一緒に出て、最初は同じ家に住んで青春期を共にした。
Kちゃんはお父さんが早くに亡くなって、母子家庭で育った。一方、うちの父も私が高校の時に亡くなったので母子家庭になり、2人の環境は形が似ていた。
ただし、うちの母は堅物で、居合道をやっていて、曲がったことは大嫌いなタイプ。年頃になって私が化粧だのマネキュアをしてると「いやらしい! 恥を知りなさい。」とまるで戦時下の国防婦人会の女性みたいなことを言う人だった。
一方、Kちゃんのママは婦人服のイージーオーダーのお店をやっていて、ヒョウ柄の服を颯爽と着こなし、髪も茶髪で赤いマネキュアがキラッキラしてるような女性。
まったく違うタイプの母親に育てられたのに私たちは本当に仲が良かった。たいていの場合はKちゃんが「あれ取ってぇ」とか「これ、やってぇ」と甘え上手で頼ってくる感じあんたは私の彼女か!」とツッコミを入れると「一人やったら何でもするけど、あんたが居るから甘えるねんやんか」と勝手な理屈を言い返されたものだ。
旅行の手配もいつも私がした。Kちゃんは「はいパスポート」と私に差し出すだけ。しかしどこにでも一緒に付いてくるので80年代の早い時期から上海に行ったり、旅行が解禁になったばかりのカンボジアに行ったりもした。あの頃は一人じゃ行く勇気なかったなと思う。
それに彼女はお母さんの跡を継いで服飾関係の仕事をしていたので「香港行って皮ジャンを作ろう!」とか「台湾のエステ行こう」などと女らしいことを企画してくれるので、そういうことに興味のなかった私は大いに勉強になったものだった。
今年の夏前に、久しぶりに地下鉄の駅で会い、懐かしく言葉を交わし、うちの母が亡くなったことを告げて別れた。
会う時は会うもんやなぁと思っていたら、なんと2ケ月後に「うちのママが死んでるとこ発見されて、警察から電話かかって来てん。もうどうしたらええの」と電話がかかってきた。
母のことで先日来色々な手続きをしていたので、私はさっそくKちゃんがするべき事を書きだして持って行った。そして「良かった、あんたに相談して」と言われた。
何十年経っても私たちの関係は変わらないのだろうなと改めて思う。Kちゃんはきっと私が奉仕する運命の人なんだろう。前世でお世話になったに違いないと思うことにしている。