オリンピックロード…リオへ向けて【特別番外編】

オリンピックロード…リオへ向けて

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「ASAFアジア選手権を終えて」


 リオオリンピックを目指していた、安田選手の夢が途絶えたと連絡があったのは3月12日の深夜だった。
12回にわたり彼の活動をHPにアップし、応援して頂いた皆さまにはきちんと報告する必要があると思い、今回特別に私が彼のコラムの番外編を書くことにした。

   3月7日から12日までアラブ首長国連邦アブダビで開催された、ASAFアジア選手権に安田選手は最後の望みをかけて挑戦した。このレースは上位2カ国に対しリオの切符を与えるというものである。

  安田選手は初日から好調な結果を残していた。彼の20年以上にわたるヨット人生の集大成のようなレースを着実にしていた。最終日にはリオの切符に十分手が届く位置にいた。

最終のレース、彼は最高の位置からのスタートであった。
基本的にヨットのレースは先行艇が有利となる。先行艇は他艇が使っていない風を使うことができるからである。他艇に使われた風はどうしても曲がったり弱ったりしている。
彼は間違いなくフレッシュエアーを手に入れ快走したはずである。

しかし、ゴールした時に彼が見たものは、フライングによる失格の通知を示すボードであった。
ヨットレースはホーンとフラッグでスタート時間を通知する。世界選手権ともなると1秒の間に何艇もが先を争って出艇する。ましてや、スタートラインは乗艇位置ではなく、艇の先端部である。
全選手が好スタートを切るために、フレッシュエアーを手に入れるために、スタート付近は混乱する。スタートの合図とともに一番良い位置からスタートするかが勝敗の分かれ目となる。

安田選手は積極的に攻めたことは間違いない。積極的に攻めた結果、そのレースは失格となった。そしてリオへの切符を手に入れることができなかった。

  一枚の写真があった。おそらく失格を表示するボードを見て、呆然とする安田選手の写真である。また、安田選手の失格を表示したボードの写真もあった。

  彼の苦労を知り、応援してきた私は涙が流れた。

  その後、すぐに彼に電話をかけた。
彼は申し訳ないと詫びたのだが、とにかく帰国してから一緒に飲もうと約束した。

 数日後、彼のフェイスブック上には、これで競技生活を終えると記載されていた。
リオへの切符を手にすることができなかった彼は、様々な想いが去来していることだと思う。一語一語、絞り出すように書かれた文章を読み、私はまだコメントを入力できない。
ただ言えることは、私には宝物にしたい写真が2枚手に入った。失格を示すボードの写真と、呆然とする安田選手の写真である。

彼が手に入れることができなかったものはあまりに大きいが、私は彼が積極果敢に攻めた姿勢を、勇気を彼からもらった。
彼と一緒に飲む日を楽しみにしている。

夢には届かなかったが、一緒に夢を見させてくれて、本当にありがとう。
また、陰ながら応援してくれていた方々にも、この場を借りお礼を言いたい。

ありがとうございました!

                                       平成28年3月15日
                                    三協精器工業株式会社
                                       代表取締役社長
                                         赤松 賢介

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