ホームへ戻る > エッセイ&コラム > 全盲ヨットマン岩本が「みる」世界〜太平洋横断の冒険〜 > 【第1回】
皆さんはじめまして、今回からコラムを書かせて頂く事になりました岩本光弘と申します。
この様な機会を与えられた事に感謝しています。私は、熊本県天草生まれで現在は南カリフォルニアのサンディエゴという町に住んでいます。熊本県益城町に三協精器工業株式会社のグループ会社である、株式会社熊本三協スプリングの工場があると聞き、親しみが沸いてきました。サンディエゴはロサンゼルスから車で南に二時間半程下ったところにあり、透き通った青空、美しい海岸線、世界的に有名な動物園、シャチやイルカのショーで人気のシーワールド等で有名です。ここにアメリカ人の家内と十三歳になる娘の三人で暮らしています。子供が一歳の時に、この町に移住してきましたので十二年間アメリカに住んでいることになり、時間が経つのは本当に早いなと改めて感じています。私の趣味はトライアスロンとヨットです。
五年前に、ニュースキャスターの辛坊さんとヨットでの太平洋横断に挑戦したのですが、クジラとの衝突により夢を途中で断念せざるを得なくなりました。このコラムをご覧の多くの方(特に関西の方)が辛坊さんの事をご存知だと思います。この事故について各社メディアが取り上げましたし、お騒がせしてしまいましたので記憶されている方も多いと思います。大阪といえば私は、辛坊さんとの北港ヨットハーバーでのトレーニングのために、三ヶ月間西九条のアパートに一人暮らしをしていました。美味しい食べ物が多いですし、人がよく声をかけてくださり迷うことが少なかったので、大阪には良い印象があります。トレーニングを終えてアパートに帰ろうと駅前の信号を渡っていると、たこ焼きの屋台をやっておられるおばちゃまが(おそらく私を指さしながら)「あの人やで、辛坊さんと今度太平洋渡るのは…」と元気な声が毎日のように聞こえてきます。それはもうおばちゃま方のヒーローになった気分でした。
あの五年前の事故以来、しばらくは家から出たくない日々が続きました。私は全盲で、このチャレンジが成功すれば世界初になることもあり、多くのメディアに取り上げて頂いたのちの失敗でしたのでショックも大きかったです。自分さえこのような夢を持たなければ、辛坊さんをはじめ多くの人達に迷惑を掛けなくて済んだのにという思いでいっぱいでした。しかし、しばらくして気持ちを入れ替え「失敗しても成功するまでやり続けよう。」と思い始めました。そして新しいダグというセーリングパートナーと知り合うことができ、来年二月にサンディエゴから福島を目指して再チャレンジできることになりました。ここまでこられたのも赤松社長をはじめ多くの方々のご支援があったからだと感謝しています。再チャレンジに向けて動き出していなければこの様にコラムを通して皆さんと知り合うこともなかったことでしょう。「失敗しても良い、成功するまで諦めないでチャレンジし続けよう。」これは私が常に自分に言い聞かせている言葉です。この様な者ですが、これからどうぞ宜しくお願い致します。