ホームへ戻る > エッセイ&コラム > 全盲ヨットマン岩本が「みる」世界〜太平洋横断の冒険〜 > 【第2回】
皆さんこんにちは、今回もお読みいただきありがとうございます。
あなたは、人生を好転させてくれる魔法の言葉と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?
私は自分の経験から、その答えは「ありがとう」と思っています。
プレゼントをもらった時、食事につれて行ってもらった時、旅行の計画をしている時・・・、楽しい時にも多くの人は「ありがとう」と感謝できるでしょう。
しかし、それだけでは不十分です。
夕食を作ってもらった時、子供が無事に帰宅した時、きれいな花を見ることが出来たとき・・・、それらのことに対してあたりまえと思うのではなく、「ありがとう」と心から言ってみるとあなたの周りの環境が変わってくることでしょう。
大切なことは、今まで当たり前と思っていたことに感謝するということです。
全盲の私にとって、片側4車線もある大通りを渡るときには命がけです。
曲がってくる車にはねられはしないか、止まっている車にぶつかってしまうのではないか、緊張しながらおどおどと足を進めていきます。
特に私が住んでいるアメリカは車社会なので歩行者用の信号が短く、渡り終わらないうちに赤になってしまうこともたびたびです。
私はこれまで何度となくトラックなどにはねられそうになりました。
命を懸けて毎日を過ごしているといっても言い過ぎではないでしょう。
見えている皆さんは大通りを渡るとき、それほどの恐怖を感じたことはないでしょう。
見えるってありがたいことですね。
一方、無事に渡り終えてオフィスに行く間に、鳥のさえずりが聞こえたり、花の良い香りがしてきた時、南カリフォルニアの太陽が頬をやさしくなでたりしてくれる時、それらを感じれることに「ありがとう」と心の中で言っています。
当たり前と思っていたことに「ありがとう」と言えるようになった人は次の段階に進みましょう。
それは、悲しい出来事、つらい出来事、イライラする出来事に対しても「ありがとう」と感謝してみることです。
これは簡単なことではありません。
自分にとってマイナス出来事が起こった後、すぐに感謝することは難しいかもしれません。
「えっ! なんでそんなことにも「ありがとう」って言わなければならないの?」と思われる方がほとんどでしょう。
しかし、ネガティブな気持ちでずっと過ごすのではなく、そこに何かの意味を見出してみましょう。
こうなったのには何かの意味があるはずだ、 自分を見つめなおし、相手の見方を変えてみる。
そうすることでやがて「ありがとう」と言えるようになるでしょう。
16歳の時に視力を失った私は、親を恨み、先祖を恨み、神も仏もあったものかと思い、寂しさと、恐怖と、怒りの中で日々を送っていました。
そんな中、見えなくなったのには意味があると考えられるようになって初めてこの人生に「ありがとう」と言えるようになりました。
それから私の人生は180度転換し、今ではハッピーライフ、ポジティブライフを送っています。
皆さんも、当たり前だと思っていたこと、寂しい出来事、悲しい出来事などに積極的に「ありがとう」と言ってみてください。
自分の人生などつまらないと思っていたのが好転することでしょう。
コラムについての感想、私に対する質問、書いてほしいテーマ等がありましたら、
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